万葉集のなかの雨について詠まれた和歌5選を紹介!

雑学

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日本で最も古い和歌集とされる万葉集。

およそ4500首以上の和歌が収録されているとされ、様々な身分、時代の人の和歌がおさめられています。

そのなかでも雨について詠まれた和歌は100首以上にものぼるそうです。

そこで今回は、そんな万葉集のなかの雨について詠まれた和歌を5首紹介していきたいと思います!

雷神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ

一首目は「雷神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ」という和歌。

こちらは「君の名は。」で知られる新海誠監督の作品「言の葉の庭」にて引用されたことで知られる和歌です。

この和歌は、雷が鳴って空が曇り、雨が降ってくれたらあなたを引き留められるのに、という切ない恋心を詠んだ和歌です。

柿本人麻呂歌集におさめられています。

この和歌に関連するものとして、「雷神の少し響みて降らずとも我は留らむ妹し留めば」という和歌があります。

これは雨が降らなくてもあなたが引き留めればそばにいますよ、という和歌。

言の葉の庭のなかでは主人公と先生がこの和歌をつかったやりとりをします。

とてもロマンチックですね!

雨隠り心欝せみ出で見れば春日の山は色づきにけり

2首目は「雨隠り心欝せみ出で見れば春日の山は色づきにけり」という和歌です。

雨隠りとは雨が降っているため家に籠ることを指します。

この和歌は、雨が降って外に出られず憂鬱だったが、外に出たら春日の山は紅葉していたという意味。

車や電車など交通が発達した現代ですら、雨の日はあまり出かける気にもならず家に籠りがちですよね。

そして、そうしているとどんどん憂鬱な気分に…。

そんな気持ちは今も昔も変わらないようです。

作者は有名な歌人、大伴家持です。

我妹子が赤裳の裾のひづつらむ今日の小雨に我れさへ濡れな

3首目は「我妹子が赤裳の裾のひづつらむ今日の小雨に我れさへ濡れな」という和歌です。

先ほども出てきた「妹(妹子)」というワードですが、これは実の妹という意味ではなく、恋人や愛しい女性を表す言葉。

この和歌は、私(作者)の愛しい女性もきっと今小雨に濡れているだろう、という意味の和歌です。

遠く離れていても空はつながっており、同じ雨に濡れているであろうという、離れている愛しい人を思う素敵な歌ですね。

ひさかたの雨は降りしけ思ふ子がやどに今夜は明かしてゆかむ

4首目は「ひさかたの雨は降りしけ思ふ子がやどに今夜は明かしてゆかむ」という和歌です。

これは有名な歌人・大伴家持によって詠まれた和歌。

雨よどんどん降りたまえ、私は思い人の家で今夜をゆっくり過ごすことにしよう、という意味で、これも1首目に近い恋心を詠んだものです。

今のように車や性能のいい傘のない時代、雨が降るとなかなか家に帰ることも難しかったことがうかがえます。

だからこそ、雨を口実にゆっくり好きな人とすごせるという喜びもあったようですね。

時雨の雨間なくな降りそ紅ににほへる山の散らまく惜しも

5首目は「時雨の雨間なくな降りそ紅ににほへる山の散らまく惜しも」という和歌。

秋の時雨に向かって、それ以上降るのはやめてくれ、美しく紅葉した山が散ってしまうから、と詠んだ和歌。

四季の移り変わりを楽しみ、多く詠んだ万葉集の歌人たちですが、雨のせいで散ってしまうと詠んだ和歌はほかにもいくつかあります。

例えば作者不詳の「白露に争ひかねて咲ける萩散らば惜しけむ雨な降りそね」という和歌です。

これは白露に虐げながらも懸命に咲いている萩の花が散ってしまうのも惜しいので、これ以上雨よ降らないでおくれという意味です。

今の時代でもお花見シーズンの雨には注意している方が多いですよね。

楽しみにしている景色がなくなってしまうのは惜しいから、雨よ降らないでという先ほどとは打って変わった和歌でした。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

ときには雨よ降れと、ときには雨よ降らないでおくれと、人間の都合によって雨に対する印象は大きく変わるようです。

万葉集には他にも雨について詠んだ和歌が多くありますので、よかったらチェックしてみてくださいね!

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