「門松は冥土の旅の一里塚」ということわざ、聞いたことありますか?
なかなか耳馴染みのないことわざだと思いますが、覚えておくととても便利なことわざです。
今回はその「門松は冥土の旅の一里塚」の意味や使い方についてお話します。
「門松は冥土の旅の一里塚」の意味
「門松は冥土の旅の一里塚」は、ことわざとしても使われますが、元は狂歌でした。
一休さんこと、一休宗純禅師がお正月に詠んだ狂歌です。
意味は、「めでたい門松も、毎年立てるたびに年を重ねるから、死に近づく標示とも見ることが出来る」という意味です。
昔は、年を重ねるタイミングは誕生日ではなく、新年を迎えた時とされていました。
ですので、お正月が来ると年を重ねるので、死へとまた一歩近づくと考えられていました。
「正月は冥土の旅の一里塚」ともいわれています。
【使い方】
・門松は冥土の旅の一里塚という言葉がありますが、私は老化を恐れずに楽しく老いて、冥土に旅立ちたいと思っています。
・門松は冥土の旅の一里塚という言葉がありますが、一年ごとに冥土に近づいていることを忘れずに、毎日を大切に生きたいです。
このように、文頭に使われることが多いです。
「門松は冥土の旅の一里塚」に続く「めでたくもありめでたくもなし」の意味
「門松は冥土の旅の一里塚」の意味は上記でお話ししました。
それに続く「めでたくもありめでたくもなし」の意味は、簡単に言うと、この歌を詠んだ一休さんの皮肉です。
「年を重ねたことは、それだけ冥土の世界に近づいたということだ。
無事に新年を迎えることが出来たのはめでたいが、冥土の世界にまた一歩近づいたことは、めでたくないなぁ」
という、見方によって、めでたくも・めでたくなくも感じることが出来るという事を詠んでいます。
「門松は冥土の旅の一里塚」ことわざの由来
この句を詠んだ一休さんは、手には竹竿を持ち、その竿の先に髑髏(どくろ)を刺して、正月の京の街をこの句を詠みながら練り歩いたそうです。
一休さんはなぜこのようなことをしたのかと言うと、街の人々は正月が明けて浮かれ気分でしたが、正月が明けるということは、一つ歳を重ねて、冥土(死)へと近づくことを思い出させたかったのだと言われています。
「死」だとイメージしにくい方は「老い」で考えてみてください。
女性に関しては、歳を重ねることに抵抗のある人が多いと思うので分かりやすいでしょう。
“幸せ”と”不幸せ”が同封されたプレゼントを受け取るような、嬉しいような嬉しくないような複雑な心境ですよね。
一休さんの狙いは、恐らくこと「複雑な心境」の部分にあったのだと思います。
新年を迎えて、お祝いモードなのは素敵ですが、現実的に年を重ねるということがどのようなことなのかを人々に思い出させたかったのでしょうね。
そのことを理解したうえで、お正月を大いに楽しむんだぞ!という、一休さんからのメッセージだったのかもしれませんね。
まとめ
「生」と「死」・「幸」と「不幸」など、表裏一体な事柄を、夢中になると片側しか見えなくなってしまうことは多いと思います。
しかし、その時の境遇や気持ちや思想などで、二面性があるものの、どちらが「表」で、どちらが「裏」かは人によって異なると思うので、両方存在することを理解しておくこと、覚えておくことが大切だと思います。
日本のお坊さんの中でも一番有名と言っても過言ではない一休さんが、この句を詠んでいたとは、私もビックリしました!一休さんは室町時代の人物ですが、室町時代でも、今でいうスターだったそうですよ。
昔のスターが言うことが、現代にまできちんと伝わって残っていることの意味も含めて、大切にしたいことわざのひとつです。